特発性血小板減少性紫斑病(以後ITP)と診断されてからも、血小板が人よりも少なめということくらいで、大きな体調の変化はありませんでした。
それから、25歳で結婚し、28歳で始めての妊娠を経験しました。
初めに言っておきますが、私は妊娠出産子育て中ですが、このときの妊娠で死産を経験しています。
今回はその時のことを書いておきたいと思います。
妊娠前の私の状態
もともと生理不順だったこともあり、タイミング療法や排卵誘発剤を使った不妊治療をしていました。
※当時は多のう胞卵巣で、卵巣にと診断されており、卵がたくさんできて排卵できない状態でした。
そして、念願の妊娠がわかります。
率直に嬉しかったです。
ITPなどの難病を抱えながらも、無事に妊娠ー出産しているのを知っていたので自分も大丈夫だと思っていました。
でも、忘れてはいけません。
ITPで妊娠するはということは「ハイリスク妊婦」になるということです。
このあと、私は悲しい現実に直面することになりました。
また、ITPなどの難病を抱えていようとなかろうと、妊娠は母体にも負担がかかることであり、出産までは何があるかわからないということ。
そのことを、みなに知っていてほしいと思い書き残します。
妊娠判明と同時に血小板の数値が激減する。
通常、妊娠出産・手術する場合は最低でも血小板は5万は必要といわれています。
もちろん、5万より少なくても適正に管理することで継続は可能ではありますが、リスクがあることに変わりはありません。
当時、ITPで通っていた総合病院で妊娠したことを告げると、ハイリスク妊婦を受け付けているという県立の病院への転院を勧められました。
このまま同じ病院で診てもらえると思っていたのですが、妊娠前は8万ほどあった血小板が5万ほどに減っていたのです。
いままでそんなに減ったことはなかったのですが、妊娠で少し体に変化が起きたかな?くらいにしかに思っていませんでした。
しかし、1週間後紹介状を持って県立病院へ受診すると、今度はよりハイリスク妊婦に対応している大学病院へいくように言われました。
なんと検査の結果、血小板は5万を切っていました。
不安な妊娠生活が始まりました。
妊娠5ヶ月目の検診で赤ちゃんが小さいといわれて入院
なんとか大学病院で妊婦検診を受けることができました。
ただ、週数が進んでも血小板が少ないままなので、妊娠初期にも関わらず2週間おきの検診だったと思います。
週数より小さめといわれつつも、順調に成長してくれていました。
しかし、妊娠5ヶ月目の検診では、ほとんど育ってないということで、検査入院することになりました。
入院しなくてはいけないことがショックで怖くて、私はその場で泣いてしまいました。
しかし、これも赤ちゃんのためなのですぐに入院手続きをしました。
入院中は何をしていたの?
とにかく原因がわからないので、先生たちは探っていたのではないかと思います。
しかし、私には入院していたときの記憶が、実はあまりないのです。
なぜなら、入院してから私の体調もどんどん悪化していたからです。
検査入院するもこんどは高血圧になる
検査入院だったので、薬などを服用もしていませんでした。
でも、私の体調自体、あまりよくありませんでした。
そして、入院してからすぐに血圧がぐんと上がり、体がむくむようになります。
妊娠高血圧だったのかどうかはわかりませんが、歩いて移動することも禁じられました。
そして、ほぼ寝たきり状態になってしまいます。
私の体で何かしらの変化が起こっていたのですが、先生たちにもまったくわからない状態。
入院から1ヶ月も経たないうちに、赤ちゃんだけではなく私の体調は悪化する一方でした。
入院してるのに悪くなっていくくことに、入院してよかったのか?何のための入院?という疑問すら沸くようになっていました。
先生たちだっていろいろ模索していたのは今ならわかるけれど、しんどさと不安から、先生たちに対しても不信感でいっぱいになってました。
このころ、ITPの治療で用いられる、γグロブリン療法をしたのですが、効果がなかっただけでなく、この後体調がひどくなったことも原因でした。
ある日、酸素マスクをつけていても呼吸も苦しい状態になりました。
このまま私は死ぬかもしれない。
そう思ってなんとかナースコールをしました、
そして、朦朧としながらおなかのエコーをした先生に言われたのは最も恐れていた言葉でした。
赤ちゃんの心拍が弱ってるといわれて
検査の結果、赤ちゃんの心拍が弱っているといわれました。
病院から電話で連絡をしたのか、夫も駆けつけていました。
そして、先生に言われたのは
心拍が弱っているので早く出してあげたほうがいいけれど、日曜日なのでスタッフが少ないです
月曜日ならスタッフは揃っていますが、どうしますか?
これを私は選択をしなくてはいけませんでした。
私たちが決めるの?どっちが正しい選択なの?
まだ5ヶ月・・・大丈夫なのだろうか?
スタッフの人が揃っている日のほうがいいのだろうか。
短時間で決断を迫れれ、私は後者を選びました。
このことを今も激しく後悔しています。
呼吸ができない!苦しい!再びナースコールをする
その夜、ほんとに息ができなくて、半ばパニックに陥っていました。
また、バタバタと検査を始めます。
そして、このあたりの記憶もまたあいまいになりますが・・・
「心臓が止まっています」
この言葉で、何も考えられなくなりました。
産声のない出産
あのとき、早く出してあげたら助かる可能性はあったかもしれない・・・
いまでも思い出すと辛いです。
もうすぐ22週になるころの出来事でした。
当時、この週数で、早く外に出しても元気に育ったかどうかはもちろんわかりません。
それでも、生きててほしかった。
そして、悲しい出産をすることになりました。
入り口を広げ、陣痛促進剤を打ちます。
陣痛も経験します。破水も経験します。
痛かったなぁ・・・
そして、眠っているかのような赤ちゃんを私は出産しました。
かわいい男の子でした。
産声はなかったけれど、私は確かに男の子を出産しました。
小さい小さい体で、よく頑張ってくれました。
何度も何度も抱っこをしました。
産後、毎日毎日泣いて暮らしました。
私の体はどうなってしまったのか。
なぜ赤ちゃんを元気に産んであげられなかったのか。
それは、私が特異な体質だったからです。
一般的にITPのひとでも無事に出産して元気な赤ちゃんを育てています。
でも、健康な妊婦さんでも、予期せぬことが起こることもあります。
妊娠は女性の体に負担がかかるのです。
そして、私の場合は弱いところにその症状が出てしまったに過ぎません。
この当時はなぜこうなったのかわかりませんでしたが、数年後、私は不育症だったことがわかります。
それ以外にも、ITPとは違う症状が妊娠中には起こりました。
病院の先生たちにも予測ができない、妊娠するまでわからなかったことばかりでした。
産後の体について
その後産婦人科から血液内科病棟へ移りました。
出産直前には1万くらいまで減っていた血小板が2万くらいまで上がったところで退院。
初めて飲んだプレドニン。
今まで治療らしきこともしてこなかったんですが、プレドニンを服用しても私の血小板数に変化は起きませんでした。
また、妊娠中、赤血球が溶けてしまい貧血症状になっていました。
溶血性貧血といいます。
妊娠状態が終了すると、症状がなくなりました。
私にとって、妊娠はかなりリスクを伴うということがわかりました。
でも、これが今回だけのことなのか、次も起こるかはわからないと。
そして、赤ちゃんが育たなかった原因も別のところにあるのではということで、詳しく検査してもらうことになりました。
※数年、妊娠することが怖くて、ずっと悩んでましたが10年経ち、最初で最後と思い妊娠ー無事に出産をしました。
ITP発症時、私はITPの中では軽いほうだったと思います。
でも、難病というだけあって、原因不明の病気。
何が隠れているかもわからないんですね。
健康な人でも何があるかわからない妊娠出産です。